この場所の歴史

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豪商の家屋 豊かな時代

この古民家は、元々は地元の豪商のものでした。
材木商を商っていた関係から大変裕福で、大正~昭和中期まではとても賑わっていたと伝えられており、
現在芸北エリアで高齢といわれる方々の中にも、若い頃はここで日当を稼いでいたという方が少なくありません。

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この古民家が、正式にはいつ建てられたのかについては、実はよく分かっていません。少なくとも100年前にはあったようだ、という事で広く認識されているのが実情です。その後、庭園が整備され、桜が植えられて今の形になったのだと伝えられています。

庭園の石などは、満足な重機も少なかった時代に、今の軽トラックのような小型車両で何十往復もかけて遠方から運び込んだもので、当時の繁栄ぶりが伺われます。

また、桜の木も、山と空建物を背景にして、最も映えるように植えられており、こだわりと庭園美の追求ぶりが伝わってきます。

かつて目の前の県道が今の形に拡張された際、工事段階で桜の木を切るよう、県から要請があったといいます。が、家主がどうしても首を縦に振らず、また、県側もここの桜の見事さから倒木を断念し、どうにかルートをずらして(少しいびつな形をした)今の道路が出来上がったというエピソードもあります。

戦後 国産材の衰退

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そんな華やかな背景を持つ日本家屋も時代の流れに翻弄されていきます。

終戦直後は国を上げて林業が推奨されたものの、復興を終えた日本が高度成長期を迎えると、次第に輸入材が国産材に取って代わっていきました。

産業の構造や価値観がどんどん移り変わっていく中、繁盛をきわめた材木商も次第に衰退していったようです。

後継の世代も広島市内などに出、そこからすでに40年程が経過。時々戻って手入れはされるものの、長い間に少しずつ荒れていき、後継の方自身が既に高齢の域に入った事から管理が難しくなってしまいました。

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後継者問題、空き家問題は当家に限らず、地域の全体の問題でした。

そんな中、この物件が空き家バンクに登録されたのは必然の流れだったと言えるかもしれません。そして空き家バンク登録をきっかけに、空城さくら亭としての再生案が浮上し、急速に実現へと進んでいきました。

空き家バンク

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2012年のある日、北広島町の空き家バンクに、とある古民家が登録されました。これを 見た一部の人は驚き、そして焦ったといいます。その物件は地元の人間なら誰でも知る立派な古民家で、桜の名所としても名の知られた由緒ある物件だったからです。

その古民家は明治末期頃に建てられたとされる古風な日本建築で、茶室や庭園もついた豪華なもの。しかし現在は荒れるに任せ、これを維持改修していくのは並大抵のことではない。これが家主の手を離れてしまえば、この名所は終わってしまう・・・。

それが彼らに芽生えた共通の認識でした。どうにかしたいがどうすればいいのか分からない。そんな時、白羽の矢が立ったのが、現在の空城さくら亭オーナーの片桐代表でした。

片桐はスキーのインストラクターをはじめとする青少年へのスポーツ指導や、神楽の振興といった文化事業、地元商工会での世話役や橋渡しなど、多くの役を引き受けながらこなしてきた人物。数年前には芸北奥地の荒れ果てた養魚場を買い取り、見事再生(現、大暮養魚場)させるなど、数々の方面で静かに注目を集めてきた若手人材の筆頭でした。

「片桐くん、何とかならんか?」

そんな一言から、空城さくら亭の計画は始まりました。

挑戦、そして・・・

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この場所は片桐自身も幼少からよく知っており、以前から「なかなか面白い場所だ・・。」と感じていたといいます。よって、この話が来た時、片桐はほぼ二つ返事で即決するに至りました。

そしてここから空城さくら亭の実現に向けた試行錯誤が始まります。

序章 熊

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さくら亭がオープンする前の何十年かは、ここには誰も住んでいませんでした。家主の方が定期的に手を入れに来るだけで、あとは無人の状態が続いていました。

オープンに向けて話が進み始めたとある春の日、物件の手入れに入った関係者は驚きました。無人の古民家が冬の間に荒らされていたのです。しかしこの辺りは県内屈指の豪雪地帯。目の前の道路は冬季は通行止めで、地元の人しか通らないはずなのに、いったい誰が。。?

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少し調べると、この犯人は大きなツキノワグマだということが分かりました。床下から床板を破り、畳を押しのけて入り込み、ここで一冬を越したというのです。しかも大胆な事に冷蔵庫を開け、保存してあったビールを飲み倒したのちに押入れに入り、ぐっすりと眠っていった状況まで明らかになりました。

春になって残されていたのは、熊の冬毛や大量のフン、ビール缶、そして破られた障子など。。地域を代表する古民家の再生は、こういった自然の置き土産を片付け、修復していくところから始まっていきました。

※畳は全て張り替えられました。

第一章 改修-庭園編

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この古民家は、元々はとても裕福な商家の持ち家でしたが、人の手があまり入らないことで長い間荒れ果てていました。特に庭園や裏山、畑などは草木の生えるがままで、猪などのなすがまま。往年の日本庭園の面影は見る影もなく・・。

そんな状況で、まずは地元の工務店さんらの協力によって、膨大な量の草刈りが行われました。その上で整地、地ならし、そして石垣の改修や池の整備など、地道で過酷な作業が繰り返される日々。

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そんな苦労の結果、畑においてはかつての姿が蘇り、有機栽培もできるようになりました。段々の一番上の畑は山菜が生い茂る貴重な自然菜園となり、清流の沢を利用してわさびも植えられるまでになっています。

その間、ボーリングを行って井戸を掘削。春先には芝が入り、整備した池には鯉を放すなど、すこしずつ営業の基盤、彩りが整い始めました。

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第二章 古木

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庭園や畑の修繕・整備と同時に進められたのが桜のケアでした。この古民家が建てられてから100年以上。その頃に植えられ、長い間大切にされてきた桜も既に古木となっており、あちらこちらに傷みが見られました。

この時もテング巣病がいくつも見つかり、先端の方は随分と傷んでいましたが、地元の造園職人により丁寧に除去。オープン前の春には見事な満開が見られるまでに回復しました。

特に樹齢が短いとされるソメイヨシノ。人の手が入らないとすぐにダメになってしまい、寿命は60年とも言われています。が、しっかりとしたケアを行えばもっと長く生きるもので、事実日本中に樹齢100年を超えるソメイヨシノが多々存在しています。

ここ空城さくら亭においても既にかなりの月日を生きてきた古木が健在。これから生まれ変わる空城さくら亭に、文字通り花を添える存在として、これからもここにあり続けます。

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第三章 改修-物件編

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日本の木造建築は非常にしっかりしており、平気で100年は持ちます。が、空城さくら亭においては、床板の多くがシロアリにやられており、結果的に全てを張り替える事に・・。

この作業は非常に時間と労力のかかるものでしたが、地元で大変腕の良い職人さんがおり、その方々のご協力でゆっくりと、そして着実に再生されていきました。

国産の杉や檜、桜材や栗の木など、なかなか値の張る木材が贅沢に使用されると同時に、かつての面影を残しながらもモダンなテイストを匂わせる大胆なアレンジが加えられ、大幅にリニューアル。

壁は塗り替え、土間は一旦打ち壊した上で、改めて打ち直されました。全て地元の人間が手作業で地道に塗っていき、内装が整った段階で調度類が揃えられ、少しづつ今の形に近づきながら、季節はやがて初夏を迎えます。

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第四章 職人の技

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庭園および建物の改修がひと段落ついた頃、空城さくら亭オープンに向け、調度類の制作が進められていました。

檜の古木を使用したテーブルなどもその一つで、地元でご高齢の家具職人の方が、「空城さくら亭に・・」と特別に用意してくれたもの。立派な建物に負けず、かつ、お店の雰囲気とぴったり調和する、妥協のない木製家具として仕上げられた職人の技。

一方でカウンター席のカウンター板については、あえて一枚板を使わずに、古板を磨き直して使用しています。これはこの古民家の雪囲として使用されていたもので、長年ここを守ってくれていた事に謝意を示して、最も重要で目に触れやすいカウンター板として生まれ変わらせたものです。

トイレの洗面台は、樫の木の一枚板を使用。重くて割れやすい材質を少しずつ丁寧に磨きながら完成させた逸品。

他にも、暖簾の染めや電飾に於いても地元の技やアイデアが採用されており、こうした一連の作業全てが芸北界隈の人たちの手によってなされていきました。

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オープン

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そして2014年の秋、空城さくら亭は無事オープンを迎えることになりました。構想がスタートしてから2年が経過していました。

オープン後、2ヶ月もすればこの辺りは雪に閉ざされ、通常の営業は難しくなります。そして春、雪解け水が流れ出す中、空城さくら亭は花の見頃を迎えます。

平野部よりはるかに遅い満開の季節。100年近く生き抜いてきたソメイヨシノの古木が花開き、あたりは桜色に染まります。

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